タイの仏教は上座部仏教であり「出家して悟りを開いた者だけが救われる」との教えを基に成り立っております。寺院にある仏陀/仏像は呼び名は違えど「全て釈迦」の化身であり、ヒンドゥー教の神々(ガネーシャやヴィシュヌ等)は神話の産物という位置づけです。

が、実際には違います。木曜日の夜9時半にトリムルティ(ヒンドゥー教における三神一体の神)の祠に行けば若い女性が100人位入れ代わり立ち代わり手を合わせ真剣にそして熱心に恋愛成就を祈っている姿が見れるはずです。
タイで一番願い事が叶う事で有名なエラワン祠に祀られているブラフマー(プラ・プロム)もヒンドゥー教の一柱ですが、心願成就した人が依頼する奉納舞が常に行われており、その周りで信仰心の厚い沢山のタイ人が花や線香を手に祈りを捧げております。

ではその方々はヒンドゥー教徒なのか?というとそうではありません。寺院にも行きますし、仏陀にお願い事もします。勿論僧侶に喜捨もします。さらに男性は成人になるために出家しサンガ(仏教僧団)に入ります。

説明するならば、タイは元々、ピー(精霊)信仰の国です。ありとあらゆる場所に精霊がいて日本の八百万の神に近い考えでした。現在でも精霊用の祠が各地にあり信仰されております。そういった環境下でこちらはヒンドゥー教の神様だから...とか細かいことは気にしません。 タイの人々にとって神様は神様なのです。

あえてわけるとすれば来世利益のために仏教を信仰し、現世利益のためにヒンドゥーの神々に祈りを捧げるという事になりますが、やはりそこまで意識しているわけでもなく、日本でいう「神社」と「寺」みたいな感じかもしれません。

ただ、日本と大きく違う点は、タイの寺院は地域コミュニティーの中心として機能しており、子供達が元気に学ぶ学校が寺院内にあったり、ありがたいお話を聞く説法はある意味大人達の学校でもあります。山吹色の袈裟をまとった僧侶が人々の悩み事を聞いている風景もよくお見かけいたします。日本人の私にさえ「どちらから来られましたか?本日はどうされました?」と英語で話しかけてくれた事もございました。

今の日本仏教はどこにそのよさを忘れてきてしまったのでしょうか?昭和までは確かにそういった風景が日本にもありました。しかし今では葬式仏教と揶揄され残念でなりません。何か対策はしないのでしょうか?これも時代なのでしょうか?



今のタイのように寺院と人々が信頼で結ばれていた風景がまたいつか日本でも見られることを願っております。